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「長城コンサルティング」という名前にした理由はなんですか?
その反省会のあと、中国に行ったとき、飲み会でどういう名前にすればいいかと相談したんです。「楊子江」はどうかという意見があったんですが、私は北部の出身なので、楊子江だとイメージが南すぎる。じゃあ、「黄河」はどうですかと言われたけど、あまりいいとは思えない。それで、「(万里の)長城」はどうですかと言われ、それなら私たちも登ったことがあるし、北京にも長城は通っているし、これがいいと決めました。また、私は以前から自分でコンサルティング会社を持ちたいと思っていたので「長城コンサルティング」という名前にしたんです。
最初は学生をしながら会社を経営していたんですよね。
そうなんです。でも、会社を作ってからしばらくは、仕事がなくて経営は大変でした。最初に受けた仕事は、広告制作会社のコーディネーター業務です。中国にCM撮影で行く時の現地のコーディネーター役です。88年から89年の間は、ほとんどコーディネーターの仕事ばかりでした。でも年間1、2回くらいその仕事があれば、1年分の給料が出るんですよ。文部省の奨学金より高くて、ほかの学生にうらやましがられました。
ところが、89年の6月3日に天安門事件があって、コーディネーターの仕事が全部飛んじゃったんです。中国のイメージが悪くなって企業のコマーシャルには使えないからです。それで、会社の資金もなくなって、ビザもそろそろ切れるという頃に大学の教授にも呼ばれたんです。「次はどうするつもりだ。もし、日本にまだ残る気があるなら、大学をもう1年延長するか、大学院に行くか決めなければ」と言うんです。
私、大学は一度延長してたんで、「では大学院に行きます」と答えました。そして成城大学大学院の入学試験に受かって入学することになりました。
会社はあきらめて勉強に専念しようと思ったんですね。
はい。大学院の試験に合格したところで、株主の社長さんたちを集めて説明しました「私は大学院に行きます。コーディネーターの仕事もなくなり資金も底をついたし、この会社はそろそろ終わりにしたい。大学院で2年間勉強した後でまた出直します」と。
株主のみなさんは「それじゃ、仕方がない。その代わりに宴会を開いてくれればいいよ」ということで、長城コンサルティングの負担で飲み会を開きました。
すると二次会の席で、会社を譲ってくれた社長さんが「張さん、ソフトをやったらどうですか」とすすめて来た。「私はソフトのことは分かりません」と答えると、「自分でできる必要はない。でも張さんは人を集める能力に優れているじゃないですか。今は(バブルの最盛期で)仕事がたくさんあるのにやる人がいないんです」と言う。それで「今ミニコンの独自OSで動作しているソフトウェアを最新で汎用性のあるUNIX OSに移植するという仕事がある。もし、やれるなら800万円で発注しますよ」と持ちかけられたんです。それで「分かりました。人を探してきます」と言いました。
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